第2回 1993年「創業」
~全てのはじまりは一つの情熱だった~
元々キノトロープは、Webをやるためにできた会社ではありません。メンバーはMacintoshを通じて知り合った仲間で、当時はWebなんてだれも知りませんでした。
カメラマンやデザイナーとして仕事をしていた仲間たちが、下請けでなく、何か自分たちの想いを実現するような仕事がしたいと、夜だけ集まる場所をつくったのがそもそものはじまりでした。僕のように広告の世界に身を置いてきた人間もいれば、エンジニアもデザイナーもいました。あまりに共通項のない仲間たちでしたが、唯一の共通項は「納得できるモノ作りをしたい」という情熱だけだったように思います。それが全てのスタートラインで、何をやるかは別に問題ではありませんでした。
カメラマン時代
今の仲間達がそれぞれ全く違う業界で活躍していた頃、僕は広告写真を撮っていました。写真はアナログな世界です。僕もご多聞に漏れず、超のつくアナログな人間でした。後年インターネットなんてよくやっているなぁと我ながら関心するほどです。しかし「モノをつくる」という基本の情熱は写真もインターネットも変わらないと思います。その想いは現在も続いています。いまだにCD-ROMをつくったり、「Web年鑑」のような出版物を出したりもしています。いまだに、CD-ROMやゲームや本を作れる環境でいることに幸せを感じています。
人生を変えたMachintosh
1993年、34歳の時に初めて僕はコンピュータ「Macintosh」に触れました。 どうしてもAdobePhotoshop(R)を使いたいがためにMacintoshを購入して、仕事に使いはじめたのがコンピュータとの出会いです。その頃のPhotoshopといえばまだバージョンが2.0だとかの頃で、レイヤーなんて概念すら存在していませんでしたが、すごく感動した事を今でも覚えています。寝ることも忘れるほど楽しい「おもちゃ」に出会えたことが、この後の僕の人生を大きく変えることになります。
仕事でコンピュータを使いはじめてすぐに感じたことは、情報の少なさです。こんなに可能性のある業界なのに、こと仕事という面では全く情報が不足しているし、お店や関わっている人のスタンスも、僕にとってはとてもビジネス的とはいえませんでした。この状況の中で僕は、コンピュータの可能性と言うよりも、熟成していない業界の可能性を感じはじめていました。
「ハイパークラフト」と最初の仲間
1993年にはもう一つ僕にとっての大きな出会いがあります。河合彰彦との出会いです。 渋谷の「ハイパークラフト」は、当時CD-ROMのお店としては、業界でトップクラスの品揃えを誇っていました。ここに通うようになり、やはりこの店の常連であった河合を紹介されるまでに時間はそれほどかかりませんでした。 その頃のMacユーザーは、すべからく「エバンジェリスト」でした。河合やその仲間が、我が家でMacの勉強会を開くようになるのにも、それほど時間はかからなかったのです。
ある日河合が1枚のCD-ROMを携えて我が家を訪ねてきました、そのCD-ROMの中には3人の仲間たちが新しいゲームを制作する様子がムービーになって入っていました。後に大ヒットする「MYST」のメイキングムービーでした。 このムービーは、僕に大きな衝撃を与えました。たった3人の人間がこのクオリティの作品を作ったことに驚嘆しました。この日から、河合と僕は毎晩遅くまで話し合うようになります。これまでの仕事のこと、これからのこと、そして僕たちにもこれが出来るはずだということを。ここから5年後の「GARAGE“ガラージュ”」発売まで、「MYST」は僕の中で、常に目標でした。
代々木上原ワンルームマンションからスタート
この年の暮れ、僕と河合、プログラマーの石田さん、生田佐知子も参加して、代々木上原駅そばのワンルームマンションに、4名の小さな制作チームが誕生しました。この事務所は、志を同じくする仲間達の溜まり場として、多くの人が出入りしていました。
「日本のビジネスのやり方では、モノをつくる人間は恵まれない。熟成した産業では、特にその傾向が強い。たとえばエディターやデザイナーやエンジニアが本当にいいモノをつくれる環境をめざそう、そういう場所をつくろう」と共感出来る人間が溜まる場所、それがキノトロープの始まりだったのです。大きな夢と志を抱いた時代でもあります。
続く