M3 キノトロープ | 生田昌弘のWebサイト 「仕事」「情熱」「趣味」の3つがテーマです
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はじまりの時代

第3回 1994年「模索」
~情熱はたくさんの才能を集結させた~

出会いがあれば、別れもあります。
1994年に最初の大きな別れがありました。はじまって間もないキノトロープからの離脱を石田さんから伝えられました。

「理由は、サーバーの立ち上げを行うため」

この理由には、何個も「?」がついてしまう僕でした。「サーバーって何?」今となっては笑い話のような話ですが、この頃この話を理解できる人はあまりいなかったと思います。河合の知り合いの会社で本格的にインターネットに取り組みをはじめた会社がありました。そのプロジェクトに参加したいというのが、石田さんの理由です。

インターネットとの出会い

その会社名は「株式会社アトム」。
ここではじめて僕はインターネットに出会いました。モザイク(だったと思います)で見る世界のサイトは、僕に新たな衝撃を与えました。今ほど写真も多くないし、デザインというには恥ずかしいようなページばかりでした。しかしそこには確かに「メディア」がありました。それは考えられないほど巨大なコミュニケーションツールでした。

僕は写真や映画が好きで「そういったメディアが立ち上がる時に生きたかった、そんな時代に生きられたらどんなに素晴らしいだろうなぁ」と常々想像していました。まさか自分が生きている間に、新しいメディアが立ち上がる瞬間に出会えるとは思っていませんでしたから、Webを知った時にはとても感動したものです。

「やるしかない、関わるしかない、メディアが誕生するのをこの目で見たい」 お金や商売になるとは思えませんでしたが、1994年夏頃からWebへの取り組みを本格化させていきました。個人向けプロバイダーである「リムネット」「ベッコアメ」の立 ち上がりの時期でもあり、まだまだWeb制作で食べていける時代でもない、このメディアの可能性を求めて試行錯誤がはじまった時代でもあります。

「インターネットスコラ」とサーバー

この頃CD-ROM制作の関係で、「株式会社スコラ」の編集者と親しい関係がありました。これがきっかけとなり、インターネット上でのパブリッシングが最初のテーマとなり「インターネットスコラ」の誕生を迎えます。
しかし先立つものが問題です。当時専用線を引いて(64Kですが)サーバー(SUNのSS5クラス)を立ち上げれば800万以上かかるような時代です。立ち上がったばかりのキノトロープにそんなお金があろうはずもありません。

スコラの担当者と株式会社アスペックの社長である大久保さんの理解と協力の下、キノトロープにサーバーがやってきました。 1995年の3月のことです。

有限会社キノトロープ

ここでも今では考えられないような話ですが、個人や有志の集まりではNTTの対応は芳しいものではありませんでした。もちろん基幹の線もどこにでもある状態でない中、専用線を引く方にも大変な苦労があったのだと思います。

専用線を引くために、有限会社キノトロープが誕生します。 林暁也、大内一也の2名を加えた計5名の小さな会社です。類い希なプログラムセンスを持つ林の入社を受けて、CD-ROMの制作は順調に軌道にのり、追って入社した大内のシステマティックな仕事の進め方が現在のキノトロープシステムの基本になります。 まさにキノトロープの礎を築いた年です。

CD-ROM制作も何とか軌道に乗りかけたこの年の暮れ、メンバーはインターネットの魅力にとりつかれ、本格稼働への道を模索し始めていました。 ここに、キノトロープの次の流れを大きく変える源流を発するところとなるのです。 そんなことなど露とも知らないメンバーは当時5名、手狭になった事務所からの引っ越しを画策していました。

同志:5名

続く



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